岐阜地方裁判所 昭和60年(行ウ)4号 判決 1990年11月05日
原告
廣瀬信子
右訴訟代理人弁護士
山本草平
被告
恵那労働基準監督署長堀田政保
右訴訟代理人弁護士
山田義光
被告指定代理人
西野清勝
同
青木惺
同
今泉常克
同
谷口実
同
後藤朝毅
同
長渡徹
同
若田昭男
同
武藤高義
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し昭和五七年三月一七日付でなした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告の亡夫廣瀬保明(以下「保明」という。)は、成豊建設株式会社(以下「成豊建設」という。)に雇用され、同社の恵那山トンネル作業所において中央自動車道恵那山トンネル中津川方工事現場でトンネル掘削作業に従事していたものであるが、昭和五六年九月一四日午後八時三〇分ころ、右トンネル工事現場においてうずくまっているところを発見され、岐阜県立多治見病院に収容され、脳出血と診断されて意識不明のまま療養に入ったが、昭和五八年三月二四日死亡した。
2 保明は、本件発病が業務に起因するものとして、昭和五六年一〇月二日付で被告に対し、労働者災害補償保険法に基づき休業補償給付の請求をしたところ、被告は昭和五七年三月一七日付をもって、保明の発病は業務上のものではないとして、休業補償給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。
3 原告は、保明の妻で、昭和五七年一一月一〇日保明の後見人に就任し、同人の死亡によりその権利関係を相続したものであるが、右処分を不服として、岐阜労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたところ、同審査官は昭和五八年四月二八日右審査請求を棄却したため、更に労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六〇年三月二七日右再審査請求を棄却する旨の裁決をなし、右裁決書は同年五月一〇日原告に送達された。
4 しかし、保明の発病は、次のとおり業務上の事由によるものである。
(一) 保明は、ずり上から約一・五メートル下の土場でうずくまっているところを発見されたものであり、また左顔面・左下肢・左膝関節部に擦過傷があったことなどによれば、ずりから一・五メートル程度すべり落ち、後頭部を打撲して、その結果外傷性の脳内出血を起こしたものである。
(二) 仮に、死亡原因が高血圧性の脳内出血であったとしても、保明の高血圧症の程度は血圧が一五〇~一〇〇であって仕事に差し支えない程度のものであり、これが自然に増悪する状況もなかったものであり、むしろ、右の脳内出血は、右高血圧症を基礎疾病とし、現場における生活環境の変化、坑内労働による疲労の蓄積、精神的緊張等により右基礎疾病が増悪した結果生じたもの、すなわち、保明の労働が共働原因となってこのような重篤な脳内出血が生じたと考えられ、業務と発病との間に相当因果関係があるから、保明に生じた脳内出血は業務上のものというべきである。
被告は、保明が高血圧症の基礎疾病を有していたことを前提に、発病直前の作業状況からみて、ことさらに過重な精神的・肉体的負担があったとは認められないから、業務は単なる機会原因でしかなく、業務起因性がないと主張するが、既存の基礎疾病等が原因で発病した場合であっても、業務が基礎疾病等と共働原因となってそれを悪化させて発病や死亡の結果を招いたと認められる場合には業務起因性を肯定すべきであり、労働者が基礎疾病を誘発・増悪させる可能性のある業務に従事しており、右基礎疾病等の増悪が自然増悪によるものではないことが証明された場合には、業務上の疾病と推定されるとすることが労災補償制度の趣旨に副うものである。
そこで、保明が従事していた労働の内容・程度等について検討する。
(1) トンネル工事に従事する労働者の作業体制は、二交代一二時間労働が原則で、一週間交代で昼勤・夜勤の作業をすることになるため、生活のリズムが取りにくい。
三交代の場合でも、早朝勤務・昼勤・夜勤の繰り返しで、生活リズムが取りにくいのは同様である。
(2) 現場の住環境は山間部にあり、家族と離れ、娯楽も乏しいことから、精神的ストレスを生じ易い。保明は、長年トンネル工事の労働者としてこのような生活をしていたものであるが、昭和五五年八月から約一年間故郷の家族のもとで通常の生活をしており、成豊建設に再就職したのは昭和五六年八月二四日であったから、この生活環境の変化は保明の年齢(当時五三歳)に照らすと相当の精神的緊張をもたらしたであろうことは、容易に推測される。
(3) 保明は、熟練工であって、班のリーダーとして積極的に他の労働者の先頭に立ち、過酷な作業に従事していたものであり、保明の年齢や生活環境とあいまって疲労が蓄積されていたことは明らかである。
発病の当日は、切羽で掘削作業にあたっていたものであるが、これはトンネル工事の最重要部分であって、岩盤の質、落石の危険性等に常に神経を集中して観察をしながら労働する必要があり、決して軽い作業ではなかった。
(4) 被告は、昭和五六年八月二七日以降は三交代制をとり、一日の作業時間は八時間であったと主張するが、切羽掘削作業は二交代制が原則であり、賃金台帳等からみても、発病当時は二交代制がとられていた疑いが濃厚である。
5 よって、保明の発病が業務上の事由によるものではないとしてなした被告の本件処分は違法であるから、この取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち、保明が病院に収容された後意識不明のまま療養に入ったとの点は不知、その余の事実は認める。ただし、保明がうずくまっているのを発見されたのは、午後八時四〇分であった。
2 同2及び3の事実は認める。
3(一) 同4(一)の事実は否認する。
保明には明らかな頭部外傷は認められず、同人は高血圧、脳動脈硬化等が発病したものである。
(二) 同4(二)のうち、保明の発病に業務起因性があるとの点は否認する。
(1)のうち、二交代制が原則であることは認めるが、その場合でも作業時間は一〇時間を越えることはない。
(2)のうち、保明が長年トンネル工事労働者として勤務していたこと、昭和五五年八月から約一年間離職していたこと、昭和五六年八月二四日に成豊建設に再就職したこと、当時の同人の年齢が五三歳であったことは認めるが、その余の主張は争う。
(3)のうち、保明が発病当日掘削作業に従事していたことは認めるが、その余は争う。
(4)は否認する。原告の主張は単なる推論に過ぎない。
三 被告の主張
以下に述べるとおり、保明の発病は、業務遂行中に発生したものであっても、業務に起因したものとは認められないから、業務上の事由によるものとはいえず、したがって、本件処分は適法である。
1 業務起因性とは、いわば「当該業務に通常生ずべき一般的危険が具体化したもの」であり、業務起因性があるというためには、当該業務に従事していなかったならば当該災害は生じなかったであろうという条件関係のみならず、業務が当該災害の発生について有力な原因であると認められること(相当因果関係)が必要とされる。そして、相対的に有力な原因かどうかは、経験則に照らし、当該業務には当該災害を発生させる危険性があったと認められるかどうか、換言すれば当該災害が当該業務に内在する危険が現実化したものと認められるかどうかによるものである。
2 脳卒中は急激に起こる血行性障害を意味し、血行の遮断により急性の意識喪失、運動障害をきたす状態を称し、原因としては脳出血、脳栓塞、脳血栓等がある。そして、脳出血の主因は小動脈壊死であり、これらの病変を助成する諸因は脳出血の遠因となるが、そのうち最も重要なのは年齢であり、五〇歳を越えた人に発症することが多い。性別については男子に多く、飲酒、梅毒、痛風、糖尿病等も血管をおかすので間接原因とされ、また遺伝的素因や体質による場合も多い。脳出血の他の原因としては血圧の亢進があり、身体過動、精神的感動等による一過性血圧亢進が罹患血管に悪影響を及ぼすことにより発症する場合が比較的多い。頭部外傷も原因の一つであるが、この場合は外傷後約一週間で発症するのが通常である。
3 保明は、昭和五六年八月二四日の採用時に健康診断を受けたが、その際の血圧は最高一七〇ミリ最低八四ミリであり、同月二七日の検診での血圧値は最高一七〇ミリ最低九〇ミリであって、同人は高血圧症の基礎疾病を有していた(昭和五四年当時にも高血圧症として医院の診療を受けていた。)。
このため、同人は降圧剤の投薬を受けながら就業していたのであるが、発病当日の九月一四日午前中にはめまいと頭痛を訴えて中津川落合診療所で医師の診療を受けたところ、血圧は最高一五〇ミリ最低一〇〇ミリであり降圧剤の投薬を受けて午後三時より入坑した。
同人は、毎晩焼酎三合位を飲酒し、一日二箱(四〇本)程度の喫煙をしていた。
4 恵那山トンネルは、当時日本屈指の最長トンネル工事として最新の技術を結集し、全国土木建築健康保険組合のモデル事業所の指定を受けていたほどであって、徹底した安全管理の下で工事は進められた。
保明は当時上部半断面掘削作業に従事していたのであるが、右工事は別紙「トンネル掘削サイクル標準」に図示するとおり削岩機による削孔→装薬→発破→ズリ出し→支保工建込み→の順序で作業を繰り返すのであり、作業人員は一〇ないし一一名で行う。発病当時は、一昼夜三交代各八時間勤務で作業を行っており、採用から発病日までの同人の作業日程は別紙作業日程表(略)のとおりである。同人の作業内容は、かねてから高血圧による不調があるとして仲間から作業を軽減され、削岩機のノミの先取り、ズリ出し、支保工の継間パイプ取付け作業等だけに従事していた程度であって、他の作業員に比し比較的楽な作業だけ行っていたものである。
トンネル坑内の作業環境についても、酸素濃度、紛塵濃度、気温等も正常であって、極めて良好であった。
5 県立多治見病院に保明が運び込まれた際の状況は、頭部CTスキャンによれば、右大脳半球の広汎な血腫があり、脳室穿破と左側脳室の著明な拡大が認められたが、明らかな頭部外傷はなく、脳出血の直接原因は高血圧・脳動脈硬化等であると診断された。
6 以上の次第であるから、トンネル坑内作業現場において、保明が頭部打撲や外傷を受けた事実は全然なかったし、同人が従事していた作業は比較的楽であって、精神的にも著しく緊張度の高いものであるとはいえない。同人の脳出血は持病である高血圧症が徐々に進行して、自然発生的に生じたものとみるほかない。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張3のうち、保明の血圧値については概ね認める。また、同人が飲酒、喫煙していたことは認めるが、飲酒量は焼酎一ないし二合程度であり、更に飲酒や喫煙は高血圧性脳出血とは直接の因果関係を有していない。
2 同4のうち、安全管理が徹底していたこと、当時三交代制がとられていたこと、保明の作業内容が楽であったこと、作業環境が良好であったことは否認する。
3 同5のうち、明らかな頭部外傷が認められなかったことは認めるが、前述のとおり左顔面等に擦過傷があったものであって、これによれば外傷性脳出血も否定できない。
第三証拠
証拠の関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する(略)。
理由
一 請求原因1の事実中、原告の亡夫保明が成豊建設に雇用されており、昭和五六年九月一四日午後八時三〇分ないし四〇分ころ同社の恵那山トンネル作業所において中央自動車道トンネル中津川方工事現場においてうずくまっているところを発見され、岐阜県立多治見病院に収容され、その後昭和五八年三月二四日に死亡したこと、並びに請求原因2及び同3の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、保明の発病の業務起因性について検討する。
1 (証拠略)の全趣旨を総合すると次の各事実を認めることができる(一部に争いのない事実も含まれる。)。
(一) 保明は、昭和三七年ころからトンネル掘削作業に従事するようになったベテランのトンネル坑夫であり、昭和五四年ころから成豊建設に雇用され、恵那山トンネル二期線工事に従事していたが、昭和五五年八月ころから約一年間離職し、故郷である大分県において宅地造成等をしてきた。保明は、昭和五六年八月二四日に再び成豊建設に雇用され、以降は三代武治を班長とする班の作業員として、恵那山トンネル作業所で上部半断面掘削作業に従事していた。保明の報酬は、他のトンネル坑夫同様いわゆる日給月給によるもので、基本的には、基本給(作業員個人によって異なる。)に能率給(一種の歩合給)と諸手当(残業手当、深夜手当等)を付加したものであった。
(二) 保明は、昭和五四年に成豊建設に雇用された際の健康診断において、高血圧(最高一七六ミリ最低九〇ミリ)、胸部大動脈硬化及び尿糖が指摘され、産業医であった島田医師から過労を避け、食事に注意する(塩分、糖分を取り過ぎない。)よう指導がなされた。
昭和五六年八月二四日になされた再雇用の際の健康診断においても、やはり高血圧(最高一七〇ミリ最低八四ミリ)が指摘され、更に軽度球結膜黄染や肝一黄指触知など肝臓障害を疑わせる症状もあった。島田医師は、前回と同じ指導を与えて、雇い入れを認めた。
保明は、飲酒・喫煙の嗜好を有し、特に酒は晩酌として焼酎を二合以上を愛飲していた。
保明は、同月三一日に頭が重いなどと訴えて島田医師の診察を受けているが、そのときの血圧は最高一五〇ミリ最低一〇〇ミリで島田医師は降圧剤などを処方し、飲酒・喫煙を止めるよう注意した。しかし、その後も保明は飲酒・喫煙を控えた様子はなかった。
(三) 恵那山トンネル二期工事は、昭和五三年に着工し、昭和六〇年に完成したもので、その距離が約八六二五メートルと長大であったことや、地山の岩質が複雑であったことなどから、トンネル工事としては相当大規模で当時の最新技術を取り入れて進められた。右工事は、その大部分が側壁導坑先進上部半断面工法により進められ、保明が発病した地点でも同工法により作業が行われていた。
側壁導坑先進上部半断面工法とは、トンネル本体を掘削するに先行して本体の下部両側面に当たる部分を、その片側面にトンネル本体及び本体支保工の基礎部分のコンクリートを打設しつつ掘削し(側壁先進導坑。以下「導坑」という。)、導坑が三〇〇ないし四〇〇メートル先進した段階でトンネル本坑の上部半断面の掘削を進め、最後に下部断面の掘削を重機作業により行うというものである。
このうち、保明は上部半断面掘削作業に従事していたものであり、右作業は、基本的には別紙「トンネル掘削サイクル標準」(略)に示すとおり、削岩機による削孔→装薬→発破→ズリ出し→支保工建込み削孔の順で、作業人員は一〇ないし一一名ごとに一班を形成して行われる。
右の手順を詳述すると、まず切羽(掘削先端の岩盤)断面に、二名(うち一名は「ノミの先取り」といわれる補助役)で削岩機を操作して六〇ないし八〇箇所に削孔し、孔を掃除して火薬を詰め込み、爆破する。爆破の後は、矢板(木板)を山肌に掛けるとともに、ズリ(岩石破片等)を導坑内のトロッコにより坑口に搬出し、コソク作業(切羽及び側壁の浮石の除却・面取り)を手作業で行い、次いで導坑内に打設されたコンクリート側壁を基底として、四分の一円型支保工(一基約四五〇キログラム)を左右両面から重機により立て掛けてアーチ型に支保し、直前の支保工との間を八本の継間パイプによってネジ止めして固定することにより、一工程を終了する。これらの作業には、削岩機、電動シャベルカー(ズリ出しに使う。)、支保工建込みの重機等の機械が多く使われ、手作業の部分は、削岩機等の操作、装薬、矢板掛け、ズリ落とし、継間パイプの取り付け、機材の整理・運搬等に限られる。
作業の途中には、食事時間が一回と適宜休憩時間が設けられており、また発破の際の退避時間などには事実上作業は休みになる。
このうち、保明は、主として削岩機の操作の補助(ノミの先取り)、ズリ落とし、継間パイプの取り付けなどの作業に従事していたものであり、これらは熟練した坑夫にとって肉体的または精神的に過酷な内容ではなかった。
作業環境については、昭和五六年六月に行われた本坑二〇〇〇メートル地点での測定によると、酸素濃度二〇ないし二〇・五パーセント、粉じん濃度〇・七五ミリグラム/立方メートルで、労働安全衛生法等による基準値以内の測定値であり、気温は一九ないし二二・五度であったところ、保明の発病当時及び場所の環境もこれをほぼ同様であったと推測される。
恵那山トンネル二期線工事は、地質の悪さ等から困難な工事ではあったが、落盤等の事故は発生していない。
(四) 保明が採用された昭和五六年八月二四日から同月二六日までの間は上部半断面掘削作業は二交代で行っていたが、同月二七日からは三交代で作業が進められていた。三交代の場合は、一番方は午前七時から午後三時まで、二番方は午後三時から午後一一時まで、三番方は午後一一時から翌日午前三時までの勤務となる。
保明は、発病当日である九月一四日は二番方として午後三時に入坑したが、これに先立って同日の午前一〇時ころ頭痛やめまいを訴えて島田医院を受診した。島田医師が診察したところ、血圧は最高一五〇ミリ最低一〇〇ミリで、以前ととりたてた症状の変化はなく、同医師は降圧剤と消化剤を処方し、酒を止め、夜ふかし等をしないよう注意を与えたが、仕事を休むようにとは言わなかった。
保明は入坑後は従前と同様に作業に従事し、午後七時ころ坑内で食事をしてから再び作業をしていたところ、午後八時四〇分ころ二基目の支保工の継間パイプ取り付け作業中に一・五メートル位の高さのずりの下の土場においてうずくまるようにして、意識を失って倒れているのを発見され、同日中に県立多治見病院に搬送された。
(五) 保明は、当初は同病院の脳外科に入院し、同科の医師がCTスキャン等により診察したところ、広汎な範囲にわたって脳出血を起こしていることが判明し、重症であって外科的手術は困難であると診断された。なお、保明には顔面等に擦過傷が認められたが、頭部には明らかな外傷はなく、また脳出血の初発部位は被殻周辺であるが、これは高血圧性脳出血の頻発する場所である。
保明は、手術が困難と診断され、内科的に処置を行うために同月一六日に同病院の神経内科に転科し、櫻井医師が主治医となった。
その後も保明は意識を回復することなく、植物人間状態で推移を続け、昭和五七年三月に家族の希望により大分県内の岡本病院に転院し、同病院において昭和五八年三月二四日心不全により死亡した。
2 右認定に反して、原告は、保明の発病当時は三交代ではなく、二交代制であった旨主張し、原告本人尋問の結果中には「発病の二日前である九月一二日に、保明から現在二交代であるとの電話連絡があった。」との供述部分が、また証人神田平一の証言中にも「発病当日は二交代の二番方として入坑したような気がする。」との供述部分が存する。
しかしながら、これらの供述は保明の発病から相当年数が経ってからのものである(特に証人神田の証言は、そのような気がする、というにとどまる。)のに対し、(証拠略)には当日は午後三時に入坑した旨の記載があり、しかも証人宮脇一成の証言(第一、二回)によれば、発病から一ないし二日後に労働基準監督署に提出した報告書中にも八月二七日から九月一四日まで三交代制がとられており、発病当日は二番方で午後三時入坑と記載されていたものと認められることなどに照らすと、前記各供述は信用できない。
更に、原告は、成豊建設から提出された賃金台帳によると三交代とされる時期の賃金が二交代の時期の賃金と変わらないかむしろ高額になっているが、これは不自然であってずっと二交代であったのを糊塗するために操作を加えたのではないか、と主張するが、証人宮脇の証言(第二回)によれば、保明の当時の賃金は(証拠略)の賃金計算書のとおり算出されたものであって、そこには特に問題となるような操作はなかったものと認められる。
他に、二交代制がとられたことを裏付ける証拠もなく、原告の主張を採用することはできない。
3(一) (証拠略)の全趣旨を総合すると次のように認めることができる。
高血圧性脳出血の直接原因については諸説あるが、今日では脳小動脈壊死とするのが一般的である。この小動脈壊死の誘因としては、年齢、遺伝的素質、性(男性に多い)などの外、飲酒、梅毒、痛風、糖尿病なども小動脈壁を脆弱化させる原因となるのでこれも間接原因となり得る。かような血管の病変があると、就寝時や食事中など安静にしていても出血が生ずる場合があるが、血圧亢進が血管に悪影響を及ぼして出血に至ることも多く、したがって身体過動や精神的感動による一過的な血圧亢進は脳出血の副因となり得る。
高血圧性脳出血の場合、被殻や視床から出血することが多い。頭部外傷によっても、高血圧性脳出血と同様の形態で出血を来す例もなくはないが、これは極めて稀なことである。
(二) 以上を前提として、保明の脳出血の原因について検討する。
前記認定によれば、保明は、以前から高血圧の既往を有し、降圧剤の投与等の治療を受けていたところ、多治見病院に搬送された際には明らかな頭部外傷はなく、CTスキャン等によって出血の初発部位は高血圧性脳出血の頻発部位である被殻周辺と考えられることなどが認められ、これらを総合すると、保明は高血圧性脳出血に罹患したものと推認すべきである。
原告は、顔面等に擦過傷があったことなどを理由に外傷性脳出血の可能性も否定できないと主張し、(証拠・人証略)には、これに副う部分もあるが、顔面等の擦過傷については、墜落等によって生じたというよりは脳出血を起こして倒れた際に生じたとみる方が自然であるし、(証拠略)の記載等については可能性として示唆するというに過ぎず(証人櫻井の証言中には通常の高血圧性脳出血の可能性が高いとの部分もある。)、前述のとおり外傷によってこのような形態の脳出血が生じる確率は極めて低いこと、明らかな外傷が認められないのに比して脳出血の程度は非常に重篤であったこと、高血圧の既往症があったことなどに照らすと、右脳出血が外傷によるものと認めることは著しく困難であるといわざるをえない。
したがって、保明の発病が転落等の事故に基づくものであるとの原告の主張は採用することはできない。
(三) 次に、原告は、請求原因4(二)記載のとおり、保明の発病が高血圧性脳出血であったとしても、これは同人の高血圧症を基礎疾病とし、これに保明の労働が共働原因となって発病したと考えられ、したがって右発病は業務上のものというべきである、と主張するので、検討する。
まず、保明の入坑直前の血圧値からすると、労働に耐えうる状態にあり、高血圧症が自然に増悪する状態ではなかったとする点であるが、前掲証拠によれば、保明の年齢、毎日の飲酒量・喫煙量からみると、保明において脳出血の原因となる小動脈壁の脆弱化が日々進行していた可能性があり、右脆弱化は降圧剤の服用によって改善される性質のものではないこと、そして、保明の血圧値が右の状態であったとしても、これをもって直ちに右脆弱化の進行が抑制されていたものということもできないことが認められ、これらの事情によれば、保明の入坑直前の血圧値が右の状態だとしても、これをもって直ちに保明が労働に耐えうる状態にあったということはいえないし、また、高血圧症が自然に増悪する状態ではなかったということもできない。
次に、前述のとおり、現在の医学的知見によれば、高血圧性脳出血の直接原因は脳小動脈壊死であるが、副因として身体過動や精神的感動による一過的な血圧亢進があることが認められる。そうすると、高血圧性脳出血につき業務起因性を肯定するためには、従事していた業務を相対的に有力な原因として、肉対的疲労や恐怖・驚愕などの精神的感動により一過的に血圧が亢進し、これを副因として本症発病に至ったと認められることが必要である。
しかるに、保明が従事していた業務の内容は、トンネルの上部半断面掘削作業のうちの、ノミの先取りといわれる削岩機操作の補助、ズリ落とし、継間パイプの取付け作業などであり、肉体労働には違いないものの、特に筋力を要する作業は含まれておらず、発病当時は一日三交代の八時間労働であって適宜休憩時間も設けられていたことをも併せると、一般の労働に比して特に重労働とまでいうことはできない。また、坑内は、気温はほぼ一定で、酸素や紛塵の濃度も法による基準を充たしており、これによれば騒音や振動があったことを考慮にいれても特に劣悪な環境とはいえず、落盤等の具体的危険もなかったのであるから、ベテラン坑夫である保明に特に精神的緊張を強いるものでもなかったことが認められる。そして、本件全証拠をもってしても、発病に際して、突発的な異常事態が起こり、これによって保明が驚愕等を感じたと認めることもできない。
これらを総合すると、保明の従事していた作業は特に過酷ともいえず、また当日の業務の内容も全く日常的なものであったというべきであり、同人の従事していた業務が相対的に有力な原因となって、肉体的疲労や精神的感動が生じて、一過的に血圧が亢進し、発病に至ったとまで認定することはできない。
原告は、三交代であっても生活のリズムが取りにくい、家族と離れての生活はストレスが生じ易い、等と主張するが、いずれも推測の域を出るものではなく、証拠上これらが血圧亢進を引き起こしたと認定することはできない。
してみると、いずれにしても、保明の発病に業務起因性を認めることはできない。
三 以上の次第で、保明の発病に業務起因性を認めることができない以上、その余の点を判断するまでもなく原告の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川端浩 裁判官 伊藤茂夫 裁判官 坪井祐子)